秋田県大仙市の将軍山神社のようです。他には見つかりません。
摩利支尊天と称していました。
![秋田県大仙市 将軍山摩利支天掛け軸](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sdbf2a1917ec24ed4/image/i0d1df2d55c3a698b/version/1533527517/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E4%BB%99%E5%B8%82-%E5%B0%86%E8%BB%8D%E5%B1%B1%E6%91%A9%E5%88%A9%E6%94%AF%E5%A4%A9%E6%8E%9B%E3%81%91%E8%BB%B8.jpg)
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sdbf2a1917ec24ed4/image/i4027c0f2e9d2d314/version/1533524311/image.jpg)
![摩利支天経](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sdbf2a1917ec24ed4/image/if90906c6ac654ad2/version/1533527568/image.jpg)
摩利支天経はいろいろな種類があるそうです。
この神社には、角間町小学校剣道部の優勝記念垂れ幕があるそうですが、現在のどこの小学校かは、調べても分かりませんでした。
秋田県神社庁のサイトの説明
羽後仙北郡外小友村鎮座勝軍山神社は、往時摩利支尊天と称していた。
古記によれば、天平宝字元年丁酉の年(757年)、八沢木の神官守屋氏(物部系類)の創設であって、今から1250年前の古社である。
後三年の役に、八幡太郎義家公がこの社に参籠して、勝利を祈ったところ、御神威忽ち顕れて、酋長武衡どもを亡ぼすことができたので、山の名を勝軍山と称するようになった。
祭神は、正徳4年鹿島大社から武甕槌大神、香取大社から経津主大神、出雲大社から八千鉾大神の三神を分祀し、下社は宇迦御魂大神と妻神を祀って、俗に黒稲荷、白稲荷と称していた。
殊に当社は、旧藩主佐竹公代々の祈願所であって、正徳4年(1714年)の社殿再建の棟札には、『領主源佐竹義処公武運長久攸神主守屋遠江守謹白』とあり、いかに佐竹家代々の崇敬が篤かったかを見ることができる。
古くから勝ち運の神として、勝利を得ようとする祈願者が最も多く、社殿は佐藤市左衛門家代々の造営であり、旧神官守屋宅が、嘉永6年火災に遭い、同社の宝物の多くが烏有に帰してしまったのは、誠に惜しみても余りあるものがあります。
摩利支天を祀る寺社 埼玉県東京都 リンク
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