先日、摩利支天さまの掛け軸を市内の骨董屋さんより求めました。
上野國那波群川井邑は群馬県玉村町川井です。
ネットで検索すると「八千矛神社」が摩利支天宮と言われていました。
八千矛神社 群馬県佐波郡玉村町川井1192
玉村町教育委員会の説明にも、清水内記の名が出てきます。
邦正の子孫が正賢なのでしょう。
清水家に代々継がれていたか、信者さんに授与された掛け軸だったのではないでしょうか。
この記念碑の裏には、八人の清水姓が彫られていました。
宮司は他の人でした。
カーナビには表示されませんでしたので、途中で近在の方に「八千矛神社」を聞くと、知らないと答えます。
「摩利支天」で、やっと場所を教えてもらえました。
地元の方は、摩利支天さまとして、大事にこの神社を守ってることが分かります。
記念碑と教育委員会の説明のみに八千矛神社が使用され、鳥居の扁額と奉納額が摩利支天となっています。
八千矛神は大黒天ですので、摩利支天とは異なります。
廃仏毀釈後も、あくまでも摩利支天さまとして、護持されていることが分かりました。
神社と土手の間の道は狭く、すれ違うのがやっとです。
神社裏の空き地に車を止めさせていただきました。
かつてこの地は、城跡でした。
しかし、痕跡はこの神社しかありません。
途中に、かつての洪水の高さを示す表示がありましたが、かなり高いところでした。
城跡の土は、この堤防に使用され、間の道路を広げたり畑とするために、神社の部分しか残されなかったのでしょう。
コメントをお書きください
ひろみ (日曜日, 12 4月 2020 07:45)
子どものころ、同じ摩利支天さまの、御守りを頂いて、今も持ってます。
どこから来たものなのか、分からなかったので、とても参考になりました。ありがとうございます!
セイショウ坊 (日曜日, 12 4月 2020 08:07)
読んでいただき、ありがとうございます。
今後とも他のブログを読んでいただけたら、ありがたいです。