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旧月山日月寺-宿坊由来の不動明王様へお参り

以前50代の男性が横浜からお参りに見えました。亡くなった父親が山形県出身でした。

お不動様の信者さんで近くのお不動様を月参りしていたそうです。

 

また、山形にも実家に行く度に、菩提寺のお不動様をお参りしていました。

当寺の御本尊はお不動様ですが、この御尊像は阿弥陀堂に祀られています。
このお不動様は、山形県の元日月寺(現岩根沢三山神社)の門前宿坊であった、少弐坊に祀られていました。
少弐坊は戦前まであったそうです。

山形県 不動明王」で検索すると、当寺の画像が出てきたので、お参りに来られたそうです。すごい !  二番目に出ていました。

阿弥陀堂にご案内して、光背の裏まで見ていただきました。

阿弥陀堂のお不動様

光背に湯殿山日月寺少弐坊の文字があります。

四年前、岩根沢三山神社にお参りに行ったときの画像です。他のブログにも書いてあるのですが、改めて掲載します。

大きなお寺が、そのまま神社になっています。ただし仏像はありません。
岩根沢三山神社Wikipedia  山形県西村山郡西川町大字岩根沢字上ノ平94

かつて月山でありながら、湯殿山日月寺と言われていました。
その前は、長耀山の山号だったことが、発掘で明らかになったそうです。

なぜ月山系なのに湯殿山を名乗ったか、私なりに考えたことがあります。
江戸以前は、出羽三山は真言宗でした。
天海僧正の名声にすがり、出羽、月山は天台宗に宗旨を変えたわけです。

しかし湯殿山は、あくまでも真言宗を通しました。ネットでも、このことはたくさん書かれています。

うがった見方ですが、おそらく長耀山を変えたのは、天台系の知恵者が、「湯殿山に行かなくとも、湯殿山日月寺にお参りすれば、湯殿山にお参りしたことになる」と、宣伝するためだと思っています。

廃仏毀釈後に資料は散逸し、記録が残っていないでしょう。あくまでも私の勝手な解釈です。

湯殿山には、神社にならなかった真言宗の大日坊(豊山派)、注連寺(智山派)があります。

今でも岩根沢三山神社は、湯殿山の額が掲げてあります。

護摩檀がありました。

ここの恵比須大黒の御尊像は、よく知られています。

優れた良い御尊像です。

他にも廃仏毀釈以前は、大きな優れた仏像が祀られていたのでしょう。

 

また、昨年完成した「羽黒山千佛堂」には、酒田市の宮大工佐藤泰太良氏が収集してきた、約250体の仏像が、公開されています。
荘内日報記事   

分かりづらいでしょうが、門前が宿坊街でした。

後日、一緒に行った人が、岩根沢三山神社に行くと、私が送った「少弐坊由来の不動明王」のA3画像が、二階に飾ってあったそうです。

出羽三山お参りの折りは、是非ここも御参拝ください。
仏像は祀られていませんが、江戸時代を彷彿させる古い姿が残っています。

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