大河原にある摩利支天社です。
以前は金蔵寺の境外仏堂で会ったのが、廃仏毀釈五に軍茶利神社と摩利支天堂が神社とのだと思います。


八耳堂(はちじどう)は金蔵寺の仏堂で、かつては聖徳太子が御本尊として祀られていたようです。
厩戸皇子の時代、8人の請願を一度に聞きながら、聞き漏らさなかったことに因み、八耳堂と付けられたのでしょう。

八耳堂の額の下には、亀踏像が彫られていました。
他の彫り物も立派です。

八耳堂の奥が軍茶利神社と摩利支天社です。
軍茶利神社は地元の武将・大河原四郎の創建と言われています。大河原家は今でも地元で大河原大尽と言われているようです。
軍茶利明王や摩利支天は神名ではありません。よくこの名前が残ったと思います。

摩利支天は部門の信仰があり、お社の中には模造刀が納められていました。
剣道を習っている人が、納めたのだと思います。

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torikera (金曜日, 22 1月 2021 22:32)
こんばんは、初めまして。
先日初めてこちらの八耳堂を訪問しました。
気になったのは、「亀踏像」の事です。
これは何なのかな?と思い色々調べていたらこちらのブログに出会いました。
最初は、「聖徳太子像」なのかと思いましたが、聖徳太子と亀の関係が分からない!
そして、分かったのが亀と「妙見菩薩」の関係です。妙見菩薩と亀の組合せは多く見つかります。
それでは、なぜこちらの太子堂にこの像が彫られたのか?
興味津々です。何か分かりましたらご教示ください!!
seisyo (土曜日, 23 1月 2021 08:15)
コメントありがとうございます。
「亀踏像」は妙見菩薩との関連が多いのですが、他にも数多く見られます。
有力な武将・藩主の墓などにも見られます。
たとえば東禅寺(群馬沼田市下川田町2530)の土岐家墓などです。
古代中国に於いては、大地は巨大な亀の上に乗っていると考えられていました。
「八耳堂」の像に関しては、分かりません。
妙見菩薩ではないと思いますので、高貴な聖徳太子を表現しているのかと思いました。